上智大学創立100周年記念事業募金
 
創立100周年記念事業募金のご案内
経過報告
免税措置
寄付者顕彰/銘板について
寄付によせて 〜メッセージ〜
募金により実現した創立記念事業
募る思い出 〜心に残る恩師は誰ですか?
各学部・学科・研究科専攻奨学金
ご寄付はこちらから
個人の皆様 法人の皆様
団体の皆様 海外から
上智大学ソフィア会
上智大学短期大学部ソフィア会
上智社会福祉専門学校ソフィア会

吉田 勝平先生

吉田勝平先生が蒔かれた種・理念は今も生き続けている

生内 忠 経済学部商学科(1962年卒業)

 「カッペイさん」と学生達が親しみを込めていっていた吉田勝平(しょうへい)教授は「スポーツは科学に基づく運動である」という信念をお持ちで、当時まだ幅を利かせていた精神主義・根性論・スパルタを否定する先進的な体育指導者であった。
 勝平先生の悲願は悲惨な水難事故撲滅の為の国民皆泳で、初心者水泳指導のご研究と実践がライフワークだった。
 先生は歩く・走る・跳ぶ・投げる等の「本能」に基づく運動とは異なり、水泳は水中での呼吸という特殊性の為に習って初めて出来る運動・「文化」であり、初心者の時から正しい指導をすることが何よりも重要であるとのお考えだった。
 それだけに、あまりにも多くの誤った水泳指導法がまかり通っている現状を何とかしたいという強い使命感をお持ちだった。
 水泳部は安保闘争で世情騒然の59年秋、代々木の東京都体育館プールに勝平先生のお誘いで水泳同好の士が集って産声を上げた。
 この集いの中で生涯の友となる同期の浅見(外・露)高品(法・法)と巡り会い、この三人組が中心となって60年に「水泳同好会」を立ち上げ、61年春には「体育会水泳部」として日本水泳連盟に加盟しての活動が始まった。
 その水泳部も営々と積み上げてきた後輩諸氏の努力と沢山の方々のご支援で来年五十周年を迎えるに至った。
 水泳競技は、関東学生選手権出場の男子71校を四部(一・ニ・三部各9校、四部44校)女子52校を二部(一部9校、二部43校)に区分しており、男子・女子共に二部に属している。
 昨年、男子は3点差で優勝と一部昇格を逃したが日本学生選手権への団体出場を果たした。
 雪辱を期して臨んだ今年(2008年)は大会新記録続出のハイレベルな大会となり、二種目優勝・大会新記録3・部新記録10・自己ベスト更新28と存分に力を尽くした悔いのない戦いをしたが、健闘及ばず4位に終わった。また、日本学生選手権の団体出場権獲得はならなかったが、個人では7名の出場権を得た。
 私達が何よりも誇らしく嬉しいのは、「旧体育会系の上下序列重視の封建的体質を排し、民主的な運営のもとに明るく楽しく水泳を研鑽し人間形成に励む」という創業時の理念が現在も連綿と生き続けていることである。
 強くなっても相変わらず初心者も入部し、明るく自由闊達な雰囲気の中、女性主将の下で自主的に部活動が行われているのを見るのは本当に喜ばしい。
 プールの無い上智で水泳部を創立し軌道に乗せることが出来たのは、次の先生方の御蔭である。

(1) 当時53歳だった勝平先生が労苦を厭わず連日ご指導に情熱を傾けて下さったこと
(2) 71年7月竣工の体育館建設の当初プランには無かったプールを、大変なご奔走とご尽力で追加して作って下さった河野総務担当理事の御恩情。人間味あふれる神父様の学生達を暖かく包み込んで下さる優しい笑顔が今も瞼に焼き付いている。
(3) 部室を持たない私達にとって1号館地下にあった体育指導室の勝平先生のデスクは連絡場所であり、備品置き場であった。折角の休息時間である昼休みに毎日押し掛ける三人組を暖かく受け入れて応援して下さった森昭先生・小林末雄先生・山内咲子先生の笑顔が懐かしい。殊に奥の小部屋で席を並べていた伊東明先生にとってはさぞ煩わしかっただろうと今にして思うのだが、一度も露骨に厭な顔をされたことが無く、先生の度量の大きさには今更ながら感謝・脱帽である。

 勝平先生は76年春の大学退職後も「生涯体育研究所」を設立して水泳サークル「かっぺいくらぶ」を主宰、初心者指導のご研究と実践に情熱を燃やされた。
 「水泳は生涯スポーツだ」と言うお言葉通り、八十歳の時にはジャパンマスターズの平泳ぎ・バタフライで四つの世界新記録を樹立された。
 お亡くなりになる一年前の96年9月末、三人組は先生と湖南料理の円卓を囲んで勝平理論の最新の研究成果をお聞きし、鯨のイラストと「かっぺいくらぶ」のロゴが入ったピンクのTシャツを頂いた。
 少しお年を召されたかなとは思ったが、健啖・雄弁でお元気であり、「150歳まで生きる」とのご公言を昔から信じていたのでまさかそれがお別れになるとは誰も思わなかった。
 満91歳6ヶ月、水泳指導のご研究と実践に心血を注がれたご一生であった。
 私は現在も「師に褒められる美しいクロール」を目指して、日々「水泳は生涯スポーツだ」というお言葉を噛み締めながら研鑽努力を続けていますが、未だ発展途上で、古希を迎えてなお道遠く、エバーオンワードです。

(付記)
 我が水泳部が創業した50年前、日本の競泳界は昔日の面影が全く無いどん底状態でした。長年日本水泳連盟の常任理事を務められていた勝平先生は、この不振の原因は「たまたま頭角を現してきた一握りの有力選手を対象に強化して事足れり」としている旧態依然の水連の方針にあり、「水泳日本復活の為には先ず水泳人口の底辺拡大・裾野の拡大が必要不可欠で、その為の取り組みをすべきだ」と長年主張しているが埒が明かない。「まったく水連の馬鹿共が・・・」といつもご憤慨でした。

 当時の水泳環境は、東京でさえ一般に利用出来る温水プールが三施設しか無いという状況でした。数十年の歳月を経て、全国各地のスイミングスクールでオールシーズン幼児の時から水泳に親しむことが当たり前の時代になり、大きく広がった水泳人口の裾野の中から世界で戦える逸材が輩出している現状には感慨深いものがあります。


左から先生、浅見、生内、高品(61年7月・諸磯合宿)

 
上智大学  短期大学部 上智社会福祉専門学校