上智大学創立100周年記念事業募金
 
創立100周年記念事業募金のご案内
経過報告
免税措置
寄付者顕彰/銘板について
寄付によせて 〜メッセージ〜
募金により実現した創立記念事業
募る思い出 〜心に残る恩師は誰ですか?
各学部・学科・研究科専攻奨学金
ご寄付はこちらから
個人の皆様 法人の皆様
団体の皆様 海外から
上智大学ソフィア会
上智大学短期大学部ソフィア会
上智社会福祉専門学校ソフィア会

ヨハネス・ジーメス師

上智的師弟関係を身を以て示されたヨハネス・ジーメス教授

岡田 裕 文学部哲学科(1967年卒業)

 1967年の大学院哲学研究科の入試テストは、日本語のぺーパーテストのほか、中級以上、或いは上級レヴェルの難しいドイツ語がゾロゾロ並んでいる2〜3ページの論文を読み、ドイツ語の質問にドイツ語で筆答するものであった。無論辞書を使ってはならない。学部時代、原書を読むのに辞書を引きまくり、それで何とか授業を凌いでいただけに、今、目の前にあるテクストは辞書なしでは殆んどお手上げであった。
 このペーパーテストを承けての口頭試問の時のことである。カントの『プロレゴーメナ』や『純粋理性批判』、ハイデッガーの『存在と時間』、A.ゲーレンの『アントロポロギー(人間学)』といった難解な原書を学生に日本語に翻訳させ、かつその内容について解説されたり質疑応答されるほどに日本語に堪能なチェコ人のアルムブルスター教授が、「岡田さん、マスタークラスで勉強するにはこの程度のドイツ語は上から下にサーッとナナメ読みにできる位でないといけませんね。」と笑みを浮かべながら見事な日本語で皮肉タップリにイヤミを言われた時は、事実ゆえに一言の返す言葉もなかった。それでも道元の『正法眼蔵』の「有事の巻」(700年も前に日本人によって書かれた『存在と時間』だ!)の学部卒論についての口頭試問では、外国人の先生方を煙に巻くことに成功したのか、兎も角も大学院の入学は許可された。それは多分卒論の指導教授であった江藤太郎哲学科長のオナサケであったためだろうと思う。
 この時思いも寄らぬことが起きた。同席していらしたジーメス教授が、「あなたにはドイツ語の訓練が必要である。これから私が課題を与えるので、毎週一回私の部屋に来なさい。」と言われたのだ。私には信じ難い言葉であった。ジーメス教授といえば私達哲学科の学生達には畏怖、畏敬の対象であったからである。この先生は自然法や法哲学、或いは明治憲法の基となったプロイセン憲法や、ヘルマン・ロェースラーに詳しい学者であるばかりでなく、ワインと山歩きと日本風呂の大好きな、労働を尊ぶ赤いおサルさん顔のイエズス会神父であった。同師と雨の中、木曽の御嶽山に登ったことは忘れられない。
 こうして私は毎週一回、メンシング著の"Vom Gewissen"(『良心について』)の各章をドイツ語で要約し、神父館の同教授の部屋で添削して頂いたり、質疑応答、或いは講義を2〜3ヶ月も受けたのである。それにしてもかほどのドエライ学者に個人的に直接指導して戴けるとは何という幸せなことであったろうか。
 その後、1969年秋に或るきっかけで西ドイツに行き、翌年大学院を中退してデュッセルドルフで欧州、北米最初の日本人学校の設立準備作業に携わることになり、丁度36年勤務して2007年1月に65歳で定年退職、最終帰国した。デュッセルドルフ在住の同窓生の多くが自分達の「アルマ・マーテル」は良い所だったと今でも口にするのは、私が経験できたようなあり方や雰囲気がキャンパスに漂っていたからなのだろう。

 
上智大学  短期大学部 上智社会福祉専門学校